『ハンドメイズ・テイル/侍女の物語』シーズン3第8話“告白”の感想です。
DragRaceUKに夢中になり、遅くなってしまいました。
※思いっきりネタバレあり。
リディアおばのことばっかり書いてます。
怪物になりつつあるジューン
前回処刑されてしまった女中、フランシスに思いを馳せるジューン。フランシスも女中になる前は彼女自身の人生がありました。ジューンの怒りは密告者オブマシューへ向けられることとに。 他の侍女を扇動しオブマシューをいじめるようになったジューン。仁王立ちしている姿はすっかりボスの風格。
白人女性が黒人女性をいじめるという構図は問題にならなかったのだろうか、と少し心配になりました。ジューンは糾弾の矛先をうまくオブマシューへと向け、 彼女を追い詰めます。
一方で、リディアおばはハンナを盾にジューンの罪悪感を煽ります。ハンナは別の場所へと移されてしまった…慣れ親しんだ友達や学校から離れることになってしまった。それはジューンのせいだ。と。
かなり卑怯ですね。あの手この手を使ってジューンの心を従順にさせようとする彼女のやり方は手強いですし、またしつこいなとも思います。
リディアおばを刺したエミリーの気持ちがわかると言っている通り、ジューンの彼女への気持ちはもはや殺意へと変わってきている…
ジューンの怒りはローレンス司令官にも向けられます。司令官の一番大切なもの、妻エレノアを材料に彼を傷つけるジューン。 司令官はそれを静かに受け止めるのみ。コロニーで妻の一人を殺害してしまったエミリーのように、ジューンもこのままだと誰かに危害を加えそうだなと思ってしまいました。前回から引き続き、ジューンは悪い意味でギレアドによって変化してきているのだなあと改めて感じます。
ついにリディアおばの過去が明らかに
やったー!ついにリディアおばの回想が…!ずっと見たいと思っていたので待望の内容なのですが、一体どんな過去なのか…?
場面が切り替わり、リディアおばの過去へ…「私は生きてる?」という男の子(ライアン)の言葉にはちょっとドキッとしてしまいました。彼がやっていたのは20の扉ゲーム。
リディアおばは子供が大好きな良き教師でした。しかし自身に子供はおらず、パートナーもいない状態。 親しくなった生徒の母親から「おしゃれをして愛を探してみては?」と勧められます。
これ、良かれと思って言ってるんだろうけど、正直余計なお節介だなと思ってしまいました。何が幸せなのかはその人次第だしパートナーがいるかどうかで「寂しいかどうか」判断するのは傲慢じゃないかなと思うんですよね。(ライアン母はリディアの普段の様子を見て思ったんだとは思うけど)日本語吹き替えだと結構ムッとしたトーンで「寂しくない!」とリディアおばが言っていて笑いそうになりました。まあとにかく説得されてその気になったわけですが…
案の定、残念な結果に…途中まではうまくいってたのに~ただちょっと早まっただけじゃないですか。相手の男性(学校の校長)も別に完全に拒絶したわけではないのに…これから何回かデートを重ねれば…いやでも 彼女なりに勇気を出して行動したのかもしれないし…とかなり複雑な気持ちになってしまいました。ダンスしている時のリディアおばは楽しそうでしたね…
リディアおばは受け入れてもらえなかったという悲しみや怒りを理不尽なところへぶつけます。反応を見るに校長からの尊敬も失ったんじゃないでしょうか…ジャニーンを打ち据えてしまった時は、この時のことを思い出したのかもしれませんね。また感情に任せて過ちをおかしてしまった…と。
オブマシューの反乱
ストレスがピークに達したオブマシューはジューンのほくそ笑みを見て、ついに爆発してしまいました。最初はジューンに銃を向けていましたが、 彼女は静かに頷きかえしました。「このまま死んでしまうのも良いだろう。それだけのことを自分は彼女にしたんだろうし。」という境地に達しているのでしょうか。
オブマシューは銃口をリディアおばへと向けます。ここに来てやっと初めて「誰が事の発端となったのか」ということを理解したように私には思えました。 目を開けたまま倒れていたオブマシューですが生きているのでしょうか?お腹の子供は?
それにしても、心優しいジャニーンは「意地悪すぎる」とジューンを止めようとしていたのに…彼女の安否が気遣われます。
エンディング曲
今回エンディングで流れていたのはDoris Day の『Que Sera Sera(ケ・セラセラ)』。繰り返される「Whatever Will Be, Will Be」というフレーズは「なるようになるさ」といった意味。
撃たれそうになったジューンの心境を表しているようです。まるで悟りの境地。
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